遺伝子情報部門 戸田 年総






Q「プロテオームって何?」

A ゲノムは「すべての(ome)遺伝子(gene)」という意味の言葉であり、特定の生物が生まれ育ち、子孫を残すために必要な全遺伝子情報の集合体を意味しますが、プロテオームも同じような方法で造語されたもので、「すべての(ome)タンパク質(protein)」を意味する言葉です。具体的には、特定の細胞が特定の条件下に置かれたときに、その細胞内に存在する全タンパク質のことを指します。そもそもゲノムは単なる情報に過ぎず、そのままでは何の働きもしません。この情報に基づいて酵素やホルモン、その受容体、遺伝子の働きを調節する因子など様々なタンパク質に作り変えられてはじめて、細胞の生命活動に必要な機能が発揮できるようになります。このとき個々のタンパク質はそれぞれ固有の限られた働きしかできませんので、細胞がエネルギーを作り、生命活動を営み、決められた役割を果し、自己を再生産するには少なくとも5千種以上の異なるタンパク質が必要になります。このように、細胞の活動に必要な全タンパク質をひとまとめにして捉えた概念がプロテオームであり、プロテオームを研究すること、あるいはその方法論のことを「プロテオミクス」と呼んでいます。

Q「プロテオームを調べて何がわかるの?」

A プロテオームを調べることは、とりもなおさずその細胞が持っているタンパク質の全体像を調べることであり、翻訳後にリン酸化や、酸化や糖化などの修飾を受けて、構造や機能が変化している場合には、それらの状況もわかります。これは言い換えれば、細胞の生理的な状態や病理的な状態をタンパク質という視点で監視できると言うことです。したがって、たとえば細胞が老化や分化、不死化(癌化)などを起こしたときのプロテオームの変化を解析することによって、それらの細胞の機能変化を陰で操っているタンパク質の正体を捕まえることができます。二次元電気泳動で分離し、得られたパターンを画像解析することによって変化が見つかったタンパク質に対しては、さらに酵素で消化した後で質量分析を行うことによって、どの遺伝子の産物に相当するものか同定することができますので、既に他の研究者らによって報告された情報にアクセスすることができるようになり、そのタンパク質の生理機能や老化との関連を明らかにすることができるようになります。

Q「老化研究にプロテオーム研究は役に立つの?」

A  老化は様々な要因によって起こるものと考えられますが、その中でも特にスーパーオキシドラジカル(O2-・)やヒドロキシラジカル(・OH)などの活性酸素分子種(ROS)、ペルオキシナイトライト(ONOO-)などの活性窒素分子種(NOS)による生体物質の酸化が老化の直接的な原因として有力視されています(下図)。


<生体内において発生する主な酸化ストレス分子種(活性酸素分子種および活性窒素分子種)
とその発生経路>

 これらの酸化ストレス分子種は、細胞が生命活動を営むことによって必然的に発生するものであり、避けることのできないものですが、細胞内ではタンパク質のメチオニン残基やヒスチジン残基、アルギニン残基などを酸化修飾するほか、DNAのグアニン塩基をヒドロキシ体に変えて点突然変異を誘発したり、脂質を過酸化脂質にかえたりと言った様に種々の生体機能分子を酸化変性させる性質を持っています。DNAが酸化された場合、その変異がエクソンの領域(タンパク質の構造を決定する情報領域)で起これば、それが作り出すするタンパク質の構造変化を起こさせ、また発現を調節する領域で起こればタンパク質の存在量に変化をもたらします。また過酸化脂質もタンパク質を修飾しますので、いずれの経路を辿った場合においても、結局は「タンパク質の変化」として現れます。長年にわたる酸化ストレスによってタンパク質に蓄積した量的変化や質的変化が、そのタンパク質が本来果たすべき役割を阻害し、細胞のホメオスタシスに歪みをもたらし、細胞機能の低下や細胞死を招き、これが老化に伴う身体機能の低下や老年病の発症を誘発しているものと考えられます。したがって、これらのタンパク質の変化を見つけだすことのできるプロテオーム研究は老化研究に大いに役に立つものであり、事実今年度の日本生化学会でも、「老化」のセッションの中でプロテオーム研究に関する発表が増える傾向を見せております。

Q「老人研では、どのようなプロテオーム研究が行われているの?」

A 老化の根本的な原因は細胞の種類によらず共通であると考えられますが、老化形質(老化に伴う機能の低下)の表現形は細胞の種類によって異なり、皮膚や消化管の細胞のように生涯休みなく細胞分裂を続ける細胞と、脳の神経細胞にようにある年齢に達した後は細胞分裂をしない細胞とでは、老化の現れ方が明らかに異なります。現在老人研では、増殖性の培養細胞と、マウスの脳組織の両面から「老化に伴うタンパク質の変化」を見つけだすプロテオーム研究を行っており、これらの研究で得られた成果の一部をデータベース化して、ホームページ上で公開しております。


TMIG-2DPAGE 老人研プロテオームデータベース[http://proteome.tmig.or.jp/2D/]のロゴの部分。(ご覧になりたい方は、このロゴをクリックしてみて下さい)>
なお、このデータベースは全て英語で書かれていますが、現在日本語版『老化と疾患のプロテオームデータベース』も鋭意製作中ですので、乞う御期待。

 ここでの解析によって、老化に伴い非常に多くのタンパク質に変化が起こることが明らかになり、興味深い動きをするものも多数見つかってきました。たとえばデータベースIDナンバーでssp7001とssp7004と名付けられた2つのタンパク質は、老化が進み、細胞が増殖能を失う時期に一時的に上昇し、その後寿命の限界に達する直前に再び減少するという複雑な動きを示すことがわかりました。またこれらは、遺伝的な早老症の一つであるウェルナー症候群の患者の細胞では、健常者に比べて早く上昇することもわかりました。他方、細胞老化が起こらなくなった不死化細胞(悪性の癌細胞では不死化が起こっていると考えられています)では逆に低下することもわかりました。これらのタンパク質を酵素で消化し、質量分析を行った結果、ssp7001はスタスミンというチュブリン結合性のタンパク質であり、ssp7004はSODというスーパーオキシドラジカルを消去する酵素であることが突き止められました。現在これらのタンパク質の機能と老化との関連について研究を進めているところです。

Q「理研(理化学研究所)やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が行っているプロテオームプロジェクトとどこが違うの?」

A 理研やNEDOが行っているプロテオームプロジェクトは、「完全長cDNAが得られたものについて大腸菌などの中で大量にタンパク質を作らせ、大型のNMR(核磁気共鳴吸収)分析装置を用いてタンパク質の立体構造を調べることにより、タンパク質の機能を解明しよう」というもので、どちらかと言うと新しい機能性タンパク質を見つけだそういう色彩が強いものです。これに対し老人研でこれから取り組もうとしているプロテオームプロジェクトは、「様々な老化の段階にある細胞や組織のプロテオームを解析し、生理的な(生物学的な)老化に伴う身体機能の低下に深く関わっているタンパク質を見つけだすとともに、特に高齢者に多く見られる中枢神経系、循環器系、血管系の疾患の発症とタンパク質の酸化的修飾の関係を明らかにしよう」というものです、したがって研究材料も、分析方法も、目指す方向性も全く別のものです。分析するサンプルとしては、老人研で開発されたTIG-3などのヒト細胞や、東京都老人医療センターで管理されているブレインバンクの高齢者および各種疾患脳組織、さらには、老人研で飼育管理されている老化モデル動物など、老人研ならではのものを主に使用する予定であり、他のグループとは一線を画したユニークな研究内容になるものと考えております。また期待される研究成果も、老化に伴う身体機能の低下の抑制や老年期疾患の発症の予防につながるものであり、今後いっそう深刻化することが予想されている高齢者の医療福祉問題の解決に少なからず貢献できるものと考えています。



『老化のプロテオーム解析』について



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